私の妻は第一子の育児休業を取得中に育児ノイローゼになりかけました。
本記事ではその時のことを振り返ろうと思います。
そして、私が取った行動と後悔してることも併せて紹介していきます。
産後うつ・育児ノイローゼは突然に・・・
妻が育児ノイローゼになりかけたのは、第一子である息子が生後6か月くらいの時です。
妻は育児休業を息子が1歳になるまで取得予定でしたが、急に「仕事復帰したい。。」と言い始めました。
妻は「毎日が辛すぎて、仕事復帰したら楽になれるかなと思った・・・」とも。。
当時の私はフルタイムで定時上がりでしたが、通勤時間が長く、朝6時に家を出て、18時半ごろ帰宅してました。
帰ってからは、家事育児漬けです。
ちゃんと手伝ってました。(地雷ワード)
息子は生後間もなくから夜泣きが酷く、本当に大変でした。
背中スイッチも敏感で、日中は妻の胸でしか寝なかったそうです。
夜中も事あるごとに泣き、一度泣くと30分はかかりました。
1歳半になるまで連続3時間寝たくれたことは数回でした。
そもそも女性の産後鬱は産後1ヶ月で発生する確率が最も高く、妻のように6か月付近での育児ノイローゼ気味になることは予想していませんでした。
さらに、妻の実家が隣にあり、日中は妻の両親のサポートがあり、夕方~夜にかけても私とのツーオペ状態でした。
正直、育児に恵まれた環境だから大丈夫という過信がありました。
それでも妻は育児ノイローゼになりかけたという事実。
当然ですが、一般論や周りとの比較ではなく、目の前の大切な人を見てあげて欲しいと思います。
産後うつ・育児ノイローゼの妻に対して取った行動
私は妻からの「仕事復帰したい」というワードを真に受けて、認可外保育所を探し始めます。
「週に2~3回、数時間でも預けられたら、妻の負担も軽くなるはず。」
当時はそんな風に考えていました。
調べるてみると、一時預かりをしているこども園があり、説明会と見学予約を申し込みました。
「週に2~3回、数時間預けるだけで、約5~6万円かかるのかぁ」
当時の私はそんな愚かなことも考えていました。
この頃は投資を本格的に始めて、一番欲しいものは株!という頃でした。
完全に投資の目的と手段をはき違えています。
何のために投資をするのか?
家族が豊かで幸福になるための手段だったはず・・・
結局説明会や見学に参加した頃には妻は少し回復しておりました。
「預けなくても、大丈夫だと思う」というまだまだやばそうなワードをまたまた真に受けた
アホな奴が私です。
結局、妻はそのまま4月の認可保育園入園まで頑張ってくれました。
当然、私も夜泣き対応などは全力でやりました。
特に息子の体重が10キロ前後になると、妻の筋力では長時間の抱っこは無理でした。
必然的には私が抱っこを担当することが多くなり、妻の負担が軽くなったかもしれません。
それでも後悔しているのは、この時の私の行動です。
預ける場所を探すのではなく、育児休業を取得するという選択肢が頭に思い浮かばなかった。
男が育児休業を取得するという概念とそれを考える当事者意識がなかった。
これに尽きます。
自分達の子どもの育児で最愛の妻が辛く苦しんでいる。
それなのに私は・・・・
これはずっと後悔しています。
当時の私はフルタイム+帰宅後家事育児+夜泣き対応で疲れていたと思います。
夜泣き対応をメインでするようになってからは、1~2時間の細切れ睡眠のみです。
私の口癖は「俺は会社で休憩できるから・・・」でした。
それでももっと他の行動があったと思います。
特に第二子の時に育児休業を取得し、その思いは強くなりました。
男性でも産後うつ・育児ノイローゼになる時代
妻はこの生後6か月頃が一番辛かったそうですが、私は違います。
それは息子が1歳になって迎えた夏・・・
この夏はついに息子が1時間おきに夜泣きする&抱っこでしか寝ない(置いたら80%くらいで泣く)ようになってしまいました。
この息子の夜泣きレベルアップにより、私は窮地に追い込まれました。
しかも片道1時間半の車通勤です。
何回も寝そうになり、本当に危なかったです。
睡眠不足過ぎて、会社でもロクに仕事できなかったです。
この時初めて寝室を妻と別にして、交代制を取りました。
しかし、息子が妻の抱っこでは寝ない&泣き止まないので、結局私がすることに・・・
今度は妻が私に申し訳なそうにしてましたね。
私はこの時に育児の辛さを十分すぎるほど認識しました。
そしてもっと楽に子育てするにはどうすればいいのか?
心穏やかに生活するにはどうすればいいのか?
このようなことを真剣に考え始めるようになりました。
結局、息子は夏が終わった9月末頃に、急に連続で5時間程度眠るようになり、私は解放されました。
妻の悪阻で男性での時短勤務を選択し、ペア育休に突入
このように辛い夜泣きが終わると、途端に育児が楽になりました。
そして第二子を考えるようになりました。
最初は2歳差を考えていましたが、夜泣きがヤバすぎて1年延期して3歳差にしました。
幸いにも予定通り妻が妊娠し、そして悪阻(つわり)が始まりました・・・
妻の悪阻は波がありましたが、結果的に出産直前まで苦しんでいました。
そのため、私が平日夕方~夜、土日ワンオペみたいになりました。
しかし、私は出勤が朝早かったので妻が保育園の準備などすることに・・・
これを何とかするために私は時短勤務を申請しました。
社内では男性初だったそうです。
こうして朝も少しは妻のヘルプができるようになりました。
そして第二子が第一子と同じように夜泣きしたら、家庭崩壊するという意見で一致していた私達は夫婦で育休取得という道を選択しました。
第二子も夜泣きはしましたが、第一子と比べたら可愛いもので、非常に助かりました。
しかし、この妻の第二子妊娠期間は辛かったです。
妻も悪阻で辛かったですが、私も疲労で5歳くらい老けました(笑)
しかも、第二子は5月生まれなのですが、3月~4月の緊急事態宣言による保育園登園自粛。
最後の最後で本当にしんどかった。
この時に保育園の尊さと保育料の安さを感じました。
第一子の時に週に2~3回、数時間預けるだけで5~6万円を高いと思ってた自分があほでした。
セミリタイアしたいのはあの夜泣きがあったから・・・
今では完全に周りから浮いた存在になるほど、育児(家族)に生活の中心を捧げている私ですが、キッカケは息子の夜泣きに間違いありません。
あの夜泣きがなかったら、ここまで育児に主体的になっていないと思います。
セミリタイアもしていないと思います。
それくらい強烈で、価値観・考え方・働き方の変化を強要された出来事でした。
今の幸せを考えれば、あの夜泣きに感謝かもしれません。
私は少しは思えますが、妻は全くそう思えないそうです(笑)
それだけ妻の方が辛かったということでしょう。
私も育児に主体的になったのは「妻を助けたい!」という思いから、本格的に育児をメインで担うようになってからです。
だからあの時、妻が「辛い・・・」と言ってくれたことに感謝しています。
あのカミングアウトがなかったら・・・と思うとゾッとしますね。
これが私の体験談です。
目の前のパートナーの辛さに気付けるか?
それを言い合える関係か?
その時にどのような選択肢を持てるか?
私はこの経験を経て、これらのことを大事にするようになりました。