本記事はオリバー・バークマンの著作「限りある時間の使い方」の第9章「失われた余暇を取り戻す」を詳しく紹介・解説したものになります。
限りある時間の使い方
そもそも休みってなんだっけ?
貴方は大事な事を忘れてるかもしれません・・・
現代人の休みへの考え方は異常?
時間を効率的に使おうとすると、余暇(休日)の時間まで生産的に使用しようとします。
本来は「何もせずにのんびりすること」が余暇の目的なのに、それだけでは足りない気がしてくるのです。
ただじっとしていることに耐えられず、休みの日も将来に備えようとする。
これはかなりの人が当てはまるのではないでしょうか?
これは怠惰嫌悪の思想であり、「時間を無駄にしたくない」という考え方は多くの人の頭の片隅に入りこんでいる思想だと思います。
多くの時間を努力で満たせば、いつか幸せな未来が待っているかもしれない。
こんな未来志向・目標志向が私達に存在しているのです。
いつしか余暇が義務となり、まるで仕事の一部になる
現代社会では余暇そのものが「より生産性のある労働者を生み出すシステム」のように感じます。
瞑想も一年間のバックパック旅行も「心穏やかな自分」や「より豊かな人間」を獲得するための手段となっています。
つまり未来の完全無欠な自分(=より生産性の高い人間)のための行動なのです。
この傾向は裕福になるほど強くなるそうです。
面白い話です。
昔は余暇は手段ではなく、あらゆることの目的そのものでありました。
ラテン語で「仕事」を意味する言葉「negotium」は直訳すると「余暇が無い」となるそうです。
昔は人生の目的は余暇であり、仕事はその例外(割って入る邪魔者だった)だったのです。
しかし産業革命後に工業化が進み、新たな暗黙のルールができたました。
仕事に支障がでない範囲であれば、余暇は何をしても良いというルールです。
この言葉に私はハッとさせれました。
今や仕事こそが人の存在意義であり、余暇は仕事のための回復期間に成り下がったのです。
しかし一般労働者にとって仕事は人生の目的ではなく、お金を得るためにやっているコトです。
こうして仕事も余暇も目的ではなくなり、余暇は仕事の、仕事は余暇のための手段となり、私達は人生の目的や存在意義を見失いやすくなりました。
余暇(休日)を取り戻すためにできること
現代では、余暇はより生産的な仕事のため、未来の自分をもっと成長させるために存在しています。
もし一日中寝て過ごしたら、余暇を無駄にしてしまったと多くの人が感じるでしょう。
これは異常事態であり、本来余暇とはそういうものだったのです。
余暇を無駄にしないためには「何もしない時間」を楽しむしか方法がない。と本書では論じられています。
つまり「余暇を無駄に過ごすことが、余暇の唯一の方法なのかもしれない」と。。
しかしあなた自身も休息を避けようとしているのです。
誰かに話しかけられて仕事が途中で中断するとイライラするし、仕事が進まないと生産的でない自分にイライラする経験はありませんか?
休息は完全無欠な未来のための手段ではない。
その事実を受け入れることが大事です。
そして「非目標性の活動」をすることが、とても重要になると論じていました。
非目標性の活動とは、「その行動の価値が何らかの目標達成ではなく、行動そのものである」モノのことです。
簡単に言えば、趣味です。
あなたの時間の全てが何かのための手段となっていませんか?
中年になると死を意識するそうです。
死を意識して、限りある将来が可視化されているのに、このまま将来に備え続けて良いのだろうかと考えるそうです。
そこでアイデンティティの崩壊や仕事にアイデンティティの保護を託してしまうのだと思います。
40~50代のセミリタイアや早期退職者が多いのも金融資産以外に理由があるかもしれませんね。
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