30代後半に突入する私達夫婦は大学1年生の時に出会い、20歳の頃から交際を開始しています。
紆余曲折は多少ありましたが、倦怠期のないラブラブカップル→ラブラブ夫婦です。
今回は夫婦の馴れ初めを紹介します。
妻の言動に振り回されてたら、全てがハッピーになった幸運な男の話でもあります。
交際開始は学生時代
私達夫婦は大学の同級生です。
18歳の頃から友人関係であり、20歳で交際開始に至りました。
猛アプローチをしかけたのは私からです。
一度、自分の誕生日に交際を申し込みましたが、振られています・・・
交際開始まで友人関係でしたが、妻から連絡してきたくれたことは一度もありません(笑)
こんな脈なし相手によくアプローチし続けたなと自分で自分に感心しています。
猛烈にアプローチしたのは今でも謎です。
何か運命的なものが絡んでいたのかもしれませんね・・・
最初の危機は就職活動
大学生~大学院まではお互い同じ大学・大学院だったので、関係は良好でした。
初めての危機は就職活動で発生しました。
私達はお互いに地元から離れた県外の大学に進学しており、ゆくゆくは結婚する前提でお互いに関西地方の企業に就職予定でした。
私が無事に関西地方の会社から内定をもらうと、妻は「興味のある会社がない!」と言い出し、「地元の企業2社しか受けない」と言い出しました。
私達の就職活動時期は2010~2011年であり、リーマンショック後や東日本大震災の影響でそれなりに難航している同期が多かった時期でもあります。
国立大学院修士(工学系)でも中小企業しか行くところない人も多くいました。
というか就活で50社~100社くらい応募する中で、2社に絞るってどういうこと?
しかもあっさりと内定を勝ち取る・・・
妻は大学院時代に少し引きこもり気味であまり大学院行ってなったのですが、それでも同期の中で最も良い就職先に就職されました(笑)
この頃から「妻の器のでかさ」の片鱗は見えていましたね。
私はまだ気づいてませんでしたが・・・
このように壮大な後出しじゃんけんが発動し、関西と四国という離れ離れになった私達ですが、妻は「数年働いたら辞めて、関西に行くから!」という言葉を残し、大学・大学院生活を終えました。
私もこの言葉を信じ、お互いに新天地に向けて出発しました。
その後またもや壮大な後出しじゃんけんが発動するとも知らずに・・・
入社半年後の突然の宣告から転職が決定
「ごめん!私やっぱり地元離れられんわ!」
入社半年後に電話でいきなり言われてしまいました。
私の回答は素晴らしかったですよ。。
「そんなの約束が違う!」とか言いませんでした。
グッとこらえました(笑)
そしてこう言ったのです。
「分かった。俺がそっち行くわ!」
これを即答した自分を褒めてあげたい!
こうして新卒入社してから半年後に「いつか転職すること」が決定しました。
この事案は普通の人なら問題ないと思いますが、吃音で悩んでいましたからね・・・
就職活動の時に吃音で自分の名前や大学名が言えないなんてザラにありました。
そんな中でつかみ取った会社を特に不満がある訳でもないのに辞めて転職するというのは心が重くなりましたね。(主に転職の面接が嫌だっただけですが・・・)
それでも「彼女(妻)なしの人生」は考えられなかったので、それから2年半は「転職のための成果」を出すのに必死でした。
その甲斐もあり、同期の中ではかなり結果を出し、その成果を武器に無事に転職できました。(3年半で退職)
そして妻と結婚したのです。
交際8年目でした。
妻に振り回された結果、30代子持ちセミリタイア
ここまで振り返ると、私は妻に振り回されている男です。
妻は全く約束を守っていない悪者のように映りますね・・・
ただ私が常に考えていたのは「一番大切なものは妻(彼女)」ということです。
だから妻(彼女)と離れるという選択肢は私にはありませんでした。
だからこそ妻の上記発言を受けても「別れる」という発想が全く無かったのだと思います。
さて、妻の上記発言に振り回された訳ですが、妻の発言は全てが良い方向にいっています。
〇妻が約束を破り地元企業に就職
→超ホワイト企業で妻の年収は約750万円(残業なし)
〇妻が約束を破り地元に居座る
→義両親の家事育児サポートあり
この妻の就業継続+義実家の家事育児サポートが無かったら、このブログは生まれていません。
30代子持ちセミリタイアもしておりません。
資産運用もせず、育児休業も取得していないでしょう・・・
恐ろしい未来です(笑)
「妻に振り回された結果、人生上手くいった」
そういった感想しかありません・・・
全ては大切なものを重視した結果である
私は自分の境遇をとても幸運だと考えています。
それは自分の考え・行動のみで掴み取ったものではなく、妻がいてくれたから掴み取れたものだからです。
私がこの幸運を掴めた理由が1つあります。
それは「大切なもの(妻)を重視してきた」ことです。
私は妻との交際開始時から妻を一番に考えてきました。
この優先順位は揺るぐことなく、妻のために我慢したことや諦めたことは沢山あります。
しかし妻はそれだけのことをする価値がある女性なのです。
私はずっとそう考えています。
結婚後も育児で大変なことがありましたが、この優先順位をいつも遵守してきました。
その考えがあったから、私は幸運にも幸福な日常を送ることができています。
今後も妻が一番大事なのは変わりません。
「誰かの幸を願えたら、きっともうこれ以上はない」
この感覚を忘れないようにしたいと思っています。
私達は「高度な次元で補完可能な夫婦」を目指してきました。
15年間、倦怠期がない夫婦が意識してることを記事にしています。
30代前半で夫がセミリタイアして夫婦仲はどうなったのか?を記事にしています。