セミリタイアの方法

セミリタイアまでの過程番外編~セミリタイアまでの働き方と年収~

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「セミリタイアまでの過程」シリーズの全5回はこちらからどうぞ。

セミリタイアまでの過程①~セミリタイアを目指したキッカケ~

セミリタイアまでの過程②~私の投資遍歴~

セミリタイアまでの過程③~セミリタイアまでの資産推移~

セミリタイアまでの過程④~育休でセミリタイア予行演習~

セミリタイアまでの過程⑤~セミリタイア後の生活~

今回は番外編としてセミリタイアまでの働き方についてフォーカスした記事になります。
33歳で退職した私がどのような働き方をしてきたのかを紹介します。

独身時代の働き方

独身時代の経歴・年収まとめ

2012年3月:地方国立大学大学院修士課程修了
2012年4月:化学メーカーに研究開発職として入社
2015年9月:結婚のための転職により退社

初任給は27万円、年収は500万円程度(入社3年目)

新卒で入社した会社は3年半で退社しております。
理由は結婚のための転居です。
新卒で入社した会社は関西にあり、転職先(妻の地元)は四国です。

新卒で入社した会社は東証一部上場の従業員1000人以上の大企業でしたが、私の部署では20時までは残業つけないのが暗黙のルールとして存在しており、20時以降は残業申請が必要なため、仕事を家に持ち帰るというブラック気質でした。

部員全員にPCが貸与されておらず、共有PCが使用できない時があるため、朝早く出社したり、土日に出社したりして、実験データのまとめ、顧客への資料を作成していました。(サービス早出、サービス休日出勤です=無償労働

結果的にこのような働き方を3年ほど続けましたが、時間的には独身なので全く問題ありませんでした。
むしろ大学院の研究室時代の方が労働環境はブラックだったので・・・

「何のためにサービス残業したり、サービス休日出勤してたのか?」と考えると、理由は3つあります。

ブラック環境でも働いていた理由

①仕事量が単純に多く、納期が異様に短い
(取引先が自動車大手で高圧的な態度)

②周囲から仕事ができない奴だと思われたくない

③転職するために結果や実績が欲しかった
(入社半年後には3年後の転職を決意)

学生時代から交際してた妻から「私は地元を離れられない」という言葉を頂戴したのが、入社後半年たった頃でした。そこから3年後の転職活動に向けて実績作りに励んでいました。

最終的にはその甲斐もあり、3年目としてはそれなりの成果を上げることができ、その実績を利用して転職活動を行い、無事転職先から内定を頂き、現在の妻と結婚するために退職→転居することになりました。

結婚~第一子誕生~第二子妊娠

転職先は四国で有名な大企業のグループ会社に開発職で入社し、年収は少し下がり450万円でした。

この職場は非常にゆるーい職場で、毎日定時上がりできるようになりました。
そんな中で第一子が誕生し、あの夜泣きが始まります・・・
そしてそれが終わったのも束の間、第二子妊娠時の妻の悪阻により、ワンオペ育児を迫られ、社内初の男性時短勤務を申請することになりました。

夜泣き・悪阻時の過去記事に興味がある人はこちらからどうぞ。

妻が育児ノイローゼになりかけた話

時短勤務の悲哀についてはこちらの過去記事をどうぞ。

【体験談】男性が短時間勤務にするメリット・デメリット

第二子誕生~育休~退職

時短勤務でもやもやしながらも第二子が誕生し、長期育休を取得しました。
そこから退職の運びとなるのはすでにこのシリーズでも記事にしています。

セミリタイアまでの過程④~育休でセミリタイア予行演習~

私は結婚を機に投資をはじめ、アーリーリタイアやFIREを目標にしていました。
しかし子どもの誕生と共に夜泣きやワンオペ育児に追われる日々を経験し、「こんなにお金があるのに、お金のために働くのはどうなの?子どもが小さい間は収入が低下しても仕方ない」と考えるようになっていました。

そして育休中の生活を体験して、その考えはさらに加速し、退職という行動を実行しました。

アーリーリタイアやFIREを目指し始めた頃から、独身時代に考えていた「周囲からの評価」や「上司からの評価」、「実績や結果を求める」という考えは薄れていきました

私は仕事は一生懸命していましたが、全ては「定時に帰るため」が理由でした。
定時に帰りたいから、「頑張って」仕事を終わらせていました。

どうでしょうか?
これが私の働き方の変化です。
特に結婚してからは6年でフルタイム勤務→時短勤務→育休→退職と駆け抜けていきました。

退職前の数年は育児と仕事で矛盾することが多く、悩むことも増えました。
その時に「自分が女性だったらこの行動をどう思うか?」、「何が無駄で何が大切なのか?」などの自問自答を行い、選択をしてきました。

今後も常識や世間の目に縛られず、「俺にしか歩けない道」を歩いていきたいと思っています。

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